躁うつリズムのサラリーマン

うつ病・双極性障害Ⅱ型により、同じ職場で3度の休職をしているぼくのリアルな体験記。『病気は個性』と思える日がやってくる。

今日の自分へ 9/27

昨日に比べて気持ちが穏やかに過ごせているように見えたよ。何か特別なことがあったわけではないけれど、ここ数週間の中で最も安心して見てられる一日だったと思います。朝起きるのは少し苦戦したけどね。

これが続くとモヤモヤが消えていってワクワク感も感じられるように思うけど、ここで焦って逆効果になった経験も何度もしていると思うから、「今日以上を求めない。今日以下を引きづらない」ことを意識して明日も一日頑張りましょう。

今日の自分へ 9/26

昨日がお休みだっのもあり、朝は比較的早く起きることができた。午前中に知人と会う予定を入れていたから、それも身体を起こす理由になっていた。知人には、今の自分の心持ちを少しだけ話をした。以前に休職していたことも知っている人物でもあり、少しでも日常に繋がるヒントが欲しかったのもあった。特別大きな変化があったわけではないけれど、何もせずに始業時間直前まで家でモヤモヤしているよりは良かったと思う。仕事中は不安との戦いでシンドい部分はあったけど、大きな問題も無く一日を終えることはできた。

 

『週明け初日お疲れ様!本調子ではなかったかもしれないけど、朝起きて行動できたことが良かったところじゃないかな。多分その行動が無い状態でそのまま仕事に行っていたらもっとシンドい一日だったと思うよ。もしも今日と同じように明日を迎えられないかったとしても、自分を責めてはいけないよ。今、本調子ではないってことを忘れないようにね。前を向かうとする姿勢は良いことだけど、急いでジャンプアップしようとすると後でギャップに苦しむことになるから。今までその経験を沢山してきたよね?今は焦らず、少しずついこうね。』

 

急ぎ過ぎないこと、焦らないこと。小さな一歩を積み重ねることを意識する1週間にしよう。

今日の自分へ 9/25

今日は日曜日で仕事はお休み。昨日の夜の段階で、何も考えずに1日ダラダラ過ごしてしまうと、多分コンディションが悪化すると思っていた。

そこで、妻と何をするか、子供をどこに連れて行くかを前日に決めておいて、今日はその通りに動いてみた。ほぼ決めた通りに動き、目の前の出来事を楽しんだ。夜になって振り返ると、ここ数日の中では一番安定した日だった。昨日までと一番違ったこととしては、仕事について考える時間が圧倒的に少なかったこと。今調子を崩している最大要因は仕事なんだと認識した日だった。頭ではわかっていたつもりでいたけれど、改めて1日を通じて体感したことで、ほんの少し気持ちが上向いた感覚がある。

でも、明日以降の仕事に対する不安や、そもそも仕事に行くことに対する恐怖(また今週も調子悪くなって苦しむのでは、、)はある。もう1日休みだったら・・と考えてしまっている。

 

『今日1日良い加減で過ごせて良かったね!朝はもう少し早く起きたかったみたいだけど、前日に行動を決めていたから、起きてから出かける準備をすぐに出来たことが素晴らしい!MAXで調子が悪かった時はそれもできなかったからね。仕事に大きく気持ちを持っていかれてると認識できたのは大きいよ。原因がモヤモヤしたままなのかある程度特定できているのかでは、この先が色々違ってくると思うよ。明日からの1週間に不安はあると思うけど、相手が誰であれ周りに影響され過ぎないで、今できるコトを積み上げていこう。健康な時の自分と比べてできないことを嘆く必要なんてないよ。できなくなったんじゃなくて、「今はできないだけ」だから。』

 

明日も今日のように、気張らず、焦らず、穏やかに1日を過ごしたい。

今日の自分へ

暫く問題なく過ごしてこれた。多少の波はあれど上手に付き合ってきたつもりでいた。でもここ1ヶ月、中々シンドい。2週間前位がMAXに辛くて、また仕事ができずにモヤモヤを繰り返す日々になるのではないかと不安がよぎった。今はその時に比べると緩和はされたけど、「調子が良い」「正常」とは言えない。毎日言い知れぬ不安があり、その不安と向き合おうと気張ると怖くなり、逃げ出したくなる。その気持ちがまた焦りと自己嫌悪を生んでしまう。戦わなければダメになる。ここで乗り越えないと先がない。今潰れたら家族が困る。弱音を吐きたいけど妻が心配する。吐いても日常が改善されるわけじゃない。そんな理由でなんとか1日を耐え忍ぶ。今はポジティブになれないけど、ポジティブな自分なら、今の自分になんて声をかけるだろう?

 

『今は調子悪いんだから仕方ないんじゃない?調子悪いのに仕事に行ってる時点でよくやってるよ。どんな理由でも1日を耐え忍んでいるだから、それで今は良しとしよう。今までもどうしようもなくなったことはないから、今回もきっと大丈夫。辛さを感じなくなる日は必ず来るから、焦らずじっくりムリせずにいこう』

 

毎日、1日が終わる頃にポジティブな自分になりきって、今の自分に伝えたいアドバイスをしていこう。

罪悪感の正体

こんばんは。

「何もしたくないんだけど、何もしないことに対して罪悪感を抱く」ぼくはたまにこんな気持ちになることがあります。ここ数日はまさにそうです(笑)。この気持ち、闘病中はホントによく出くわしました。かなり厄介なヤツです。

 

「何もしたくない」「やる気がわかない」ってことは誰にでもある話かなと思います。締切があることであったり、自分がやらないことで周りの人に迷惑がかかることであれば、例えやる気が出なくても動かなければいけませんが、影響が自分にしか及ばないことは、やりたくない時に無理にやる必要はありません。でも今回の「厄介なやつ」の場合は、そこに『不安』『後ろめたさ』がまとわりついてきます。「まぁいいや、明日(来週)やれば」で片付けばそれでいいんですが、それを阻むモヤモヤがあるんです。

これの正体をぼくなりに探ってみたんですが、おそらくは『比較』なんじゃないかと思います。やる気がある時の自分であったり、周りの元気な人なんかと比べて、「周りの人はやっている」「前はできた」みたいな気持ちを抱いているから、なんかやる気が出ない自分に「そのままじゃマズいんじゃない?」と心の中で問いただしている感じ。心から自分の今を許せていないんだろうなぁって思います。

 

気持ちが向かないんだし、そもそもそれが病気の症状でもあるんだし、その比較を止めるようにしないと休まらないんだよなぁ。

うつ期の選択

あの日、あの時、もし逆の判断をしていたら、今頃自分はどうなっていたんだろう・・・ふとした時に考えることがあります。

3回休職していますが、その全部が休職になる前は『今の辛さから目を背けたい。休みたい。逃げ出したい。』そう思っていました。【ある意味自らの意思で休職を選択した】流れです。休職になるにはお医者さんからの診断が必要ですが、正直な話、休職が必要と言われた時はホッとしたし、ちょっと嬉しいとさえ思っていました。(実際には休む辛さが待っているのですが 笑)

自らの意思によるものと考えると、もしも『休まない!踏ん張る!乗り切る!』と舵を切って仕事を続けていたら、今頃病気に打ち勝ってバージョンアップしていたかもしれない。評価されて昇進していたかもしれない。今とは違う良い景色が見えていたのかもしれない。そんなことを考えて後悔してしまう時が今でもあります。

 

人間は、毎日毎日朝起きてから夜寝るまで『判断の繰り返し』をしています。例えば、朝目覚めたら二度寝するかどうかを悩んで判断(行動)する。お昼ご飯をラーメンにしようかカレーにしようか、今日は晩酌をしようか辞めておくか、こんなことも判断にあたります。仕事で言うなら、今日は軽めのタスクを3つ片付けるか、それとも重たい案件を1つ片付けようかと言ったような場面も判断にあたります。仕事にせよお昼ご飯にせよ、その時にした判断が正解(不正解)かは、『選択した後の満足度』で決まるように思います。だから、正解か不正解かの二者択一の選択は手段に過ぎなくて、大事なのは選んだ選択でどう自分を満足、納得させることが大切なんだと思います。

 

ぼくは選んだ道にずっと否定、罪悪感、危機感ばかりを抱えていましたが、「仕事を休まない」という選択をしてもきっとシンドいままだったんだろうなといつも思考が着地します。でもあれがもし「会社が休んで良いって言ってるんだから思いきり羽を伸ばそう」と考えられていたら、きっと満足度が高まり、病気を受け入れるのが早まり、結果として寛解期が早まっただろうなぁと思います。

自分のした選択をどう意味づけるかで日常の心持ちが変わります。よければ意識してみて下さい。

『自分にとっての当たり前』から抜け出してみる

新型コロナから始まった激動の2020年の年末は、どのテレビを観ても、誰のSNSを見ても『最悪の年』と言っている場面が多かった。ぼく自身もここまで自由が無かった年は初めてでした。遊びに行くことが出来ず、ストレスの溜まる日々。いつまで続くのか、これに関しては早く終わるコトを願うばかり、、、

 

皆さんにとっては去年はどんな年だったでしょうか?因みにぼくにとっての最悪の年は2017年。それまで2回のうつ病診断で休職していたぼくが、双極性障害(躁うつ)の診断を受けて3回目の休職をした年。度重なる休職への情けなさと、今後への大きな不安、双極性障害という『障害』を受け入れる抵抗感、、、そんなことをひたすら考えた一年でした。その年をどう過ごしていたか今思い出すと、もがいて、足掻いて、迷走して、、、終わりの見えない恐怖と不安が重くのしかかり、脱する術が見つからない。見つけられないから、考えなくて良い睡眠に逃げ込む。けど、終日寝てる自分にまた罪悪感。でも脱出方法は見つからない、、、そんな毎日でした。

 

人は毎日1日を生きていく中で、『当たり前』の定義を自分で更新しています。今となっては大多数の人が外でマスクをしていることが当たり前。コンビニやスーパーのレジには透明のシートが貼られているのが当たり前。携帯ショップの商談テーブルにパーテーションが設置されているのが当たり前。そのどれもが1年前は『異端なもの』だったのに。

昨日まで、先月まで、去年まで起きていた自分の出来事や日常が当たり前で、【病気になった自分は異端でダメな状態】。そんなインプットをしてしまうと戦いはどうしても長期化してしまいます。短期決戦の特効薬は無いにしても、自ら長期戦に挑む必要もなかったかなぁ?と今では思います。

 

自分にとっての日常をほんの少しだけ緩めるところから始めていきませんか?僕のように1年前後費やさなくても、自分にとっての心地良さを見つけられるかもしれません。