躁うつリズムのサラリーマン

うつ病・双極性障害Ⅱ型により、同じ職場で3度の休職をしているぼくのリアルな体験記。『病気は個性』と思える日がやってくる。

(うつ闘病初期)イライラの正体は何?

こんにちは。

ここ数日ボクの住んでいる地域は終日雨。湿気がいつになく高くて、一日中ジメジメしています。気持ち悪い空気なので、家の中は終日エアコンをドライモードでフル稼働させていますが、洗濯物が乾かなくて奥さんがイライラしています・・苦笑

 

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ぼくが双極性障害の診断に変わったのは昨年の12月。その時から約1か月間は辛い鬱症状が続きました。元気もなかったし朝も起きれなかったし、その他色々不快な状態が続いたのですが、ある意味一番しんどかったのは「イライラ」でした。

 

別に誰かに怒っているわけではないんです。現状への悲観こそありましたが、それに対する怒りの感情はそれほどありませんでした。でも、家の中でも、外に出ても、人と接することに対して直ぐにイラついてしまう自分が居ました。奥さんと話してちょっと意見が食い違うとイライラ。子供たちの所作にイライラ。買い物に行ったら店員さんにイライラ。スマホの不具合でauで電話してオペレーターにイライラ。クルマを運転している時に前を走るクルマにイライラ。場面を想像したらキリがないほどでした。

 

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自分で言うのもなんですが、普段のぼくは比較的温厚で、人からも気分の抑揚が少ないとよく言われます。人が大好きで、話を聞いたり自分の話をしたりするのも全く苦にならない。よほどのことがない限りは、ほぼイラつくことはありません。安定している今はもちろんありません。

今振り返ると、イライラの根源は「何事に対しても快を求めていた」ことが原因だったのかなぁと思います。日々辛い日常を送る中で、たまに勇気を出して(?)人に話しかけたり買い物したりドライブしたり。何かしらの行動をした際に、いつもと違うスッキリした『何か』を求め続けていたからなんだと。他人や外に快を求めているんだけれど、一方で他人に依存する自分が情けないと感じる日々。その中で、自分が求めている快が出てこないからイライラしてしまう。もの凄く自己中な話なんですが、当時のぼくはそんな状態でした。でも頭ではわかっているんです。その求めている『何か』って、ぼく自身も何なんかわからないし、わからないから、自分の中に答えがないから、他人や外に求めていく。でもその快に対する答えなんて無いんですよね、残念ながら、、、多分あの当時、仮に快となり得る出来事があったとしても、結果イライラしていたんだろうと思います。

 

最近は新たに、『自分と他人に期待しない』を実行しています。悲観するという意味でなく、必要以上に自分と他人に求めないこと、期待しないこと。例えば一番身近な存在で言うと奥さん。奥さんが家事をしていること、洗濯をしていること。子供たちの面倒を見ていること。感謝はしているし尊敬もしているけれど、当時はどこか当たり前と感じている自分が居ました。買い物同様で、店員さんや電話サポートは接客業なんだし、親切が当たり前だと思っていまいた。クルマの運転は譲り合いが当たり前と思っていました。その当たり前のレベルをグッと下げて、良い意味で期待しない。期待しなくなると、自分の中にある当たり前のハードルがどんどん下がっていきます。そうなると、ほんの小さなことが楽しかったり嬉しかったり、感謝できたりするようになってきました。自分が置かれている状況は、奥さんのサポートがあってこそ。家事や選択はしているのではなく、してくれていること。そう捉えられるようになってきたことで、イライラは段々頻度が減っていきました。

※もちろん仏道に入っているわけではありませんので、日々の中で小さなイライラはありますが、それども鬱時に比べるとかなり減りました。

 

日々イライラしてしまう自分が居るようなら、自分(と他人)への期待ハードルの高さを飛べる高さまで下げてしまう。そんな心持ちで過ごすと楽になるかもしれません。